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2015年09月13日

町田でエイサー

町田のエイサー祭りに行ってみました。

町田や都内、関東近郊のエイサー団体10数団体が、2日間、駅前の何か所かで演舞します。

結構本格的なエイサーまつりで、観衆もたくさん。
中には、観客と一緒になって最後をカチャーシーで盛り上げる団体も。

エイサーもこれだけ本土で定着してきたんだと考えると、感慨深いです。

そして、本場沖縄市の南桃原青年会の演舞も。

最後はもちろん、沿道の観衆も一緒になって大カチャーシー大会。3歳の息子を肩車したまま、我々もしばらく踊っていました。

しばらく全島エイサーまつりに行ってない分、今日は派手に踊ってみました。


  


Posted by MiO at 22:55Comments(0)沖縄とヤマト

2015年08月18日

8月18日の記事

最近、沖縄のドキュメンタリー映画を2本見た。

「うりずんの雨」

凄惨な沖縄戦、占領下の沖縄、米軍基地による凌辱(日本政府も黙認していると言えるが)、現在抱えている普天間移設問題などについて、米軍の映像や関係者へのインタビューを通して語られキュメンタリー。特に、沖縄戦で生き残った元日本軍兵士や、元米軍人、20年前の少女暴行事件犯人の一人へのインタビューは臨場感がある。

いずれも活字を通して見たり知っていたり事実だが、改めて映像で見ると、戦後70年経つのに今なお米軍基地の過剰な負担に苦しみ、さらに恒久的な新基地が建設されようとしているこの状態に対して、自分としてもできる行動をとっていきたい、という思いを新たにした。映画を見た人同日にすぐ近くで開催されていた新宿エイサーまつりを観覧していた大勢の人に、沖縄のそのような側面も考えてほしいと感じた。


「戦場ぬ 止み(いくさばぬ とぅどぅみ)」

辺野古の新基地建設の動きと、それに反対する人々、基地と隣り合わせに活きている人々の日々を撮影したドキュメンタリー。

2014年8月14日、海上保安庁と沖縄防衛局の数十艇の艦艇・ゴムボードが辺野古の海を埋め尽くし、反対派市民の4席の小型船と20艇のカヌーを取り押さえる風景、建設資材を運ぶトラックを命がけで阻止する人々を強制排除する風景は、まさに民意を無視し力ずくで物事を推し進める日本政府の横暴さであり、その映像に戦慄が走る。

一方、見慣れた沖縄の日常風景や、先の県知事選挙で基地建設反対派の翁長知事が勝利した瞬間を祝う人々の様子、旧盆のエイサーや正月のかぎやで風節の風景などにみられる穏やかで明るい人々の表情が、基地反対へと必死の形相で立ち向かう人々の怒りを一層際立たせる。

もっと本土のメディアにも、これら市井の人々の反対運動と、政府が沖縄で進めていることの酷さを報道してほしいと思う。また、改めて、今の自分の立場でできることがないかと考えさせられる。


「うりずんの雨」のジャン・ユンカーマン監督の
「(沖縄を解放する責任を負っているのは)沖縄の人々ではなく、アメリカの市民、そして日本の市民です。その責任をどう負っていくのか、問われているのは私たちなのです。」という言葉が重くのしかかる。
  


Posted by MiO at 00:12Comments(0)沖縄とヤマト

2014年08月02日

鍾乳洞と民謡酒場

海遊びとエイサーがメインだった今回の沖縄の旅ですが、マンゴーに加え、そのほかにも、沖縄らしさを満喫しました。

まずは久しぶりに訪れた金武の鍾乳洞。真言宗の観音寺というお寺の境内にある自然の鍾乳洞で、金武酒造はここで泡盛を保管しているので有名です。数年前に訪れたことはあったのですが、子供にも体験させたくて訪れました。


住宅街の中の観音寺は、セミの鳴き声がものすごい緑に囲まれていますが、落ち着いた雰囲気の境内には古い本堂が建っています。その右手にひっそりと口を開けているのが鍾乳洞。お寺の方に一声かけ、入っていくと、階段の下り口においてすでに冷気を感じます。


薄暗い洞窟内部に降りていくのは怖がるかと思いきや、ふだんは怖がりの息子は意外と積極的に降りていきます。(涼しいからかな?)最初は真っ暗で、日の当たる範囲しか見えませんでしたが、地上部に電灯のスイッチがあるのを見つけて電気をつけると、入り口から30mくらいまで鍾乳石が照らされました。(それ以上は工事していて通行止め)


島の大半が琉球石灰岩でできた沖縄には、普天間宮の洞窟をはじめ、いくつかこのような鍾乳洞があります。2歳半の息子は初体験でしたが、意外と怖がらずに洞窟デビューをしたのが印象的でした。いろいろなアウトドアを体験させ、恐怖心の克服や慎重に行動すべきことなどを身につけさせたいです。

夜は恩納村の民謡居酒屋へ。20時からライブというので15分くらい前に行きましたが、先に店内にいた2組が20時前に帰ってしまうという暴挙にでたために、ライブの時は私たち家族の貸切。リクエストに応えてくれたばかりか、うちの家内や夫婦でステージに上がって歌ったりと、温かいサービスをしていただきました。(その分クーポン分の割引はなかったことになっていたけど、まあサービス料だと思って良しとしましょう。)


ちなみに、名護のJAでは新米まつりがおこなわれていました。沖縄は一期作の場合2月に田植えして7月に収穫ですから、そういう時期ですね。

  


Posted by MiO at 06:19Comments(0)沖縄旅日記

2014年07月29日

なかむらそば

恩納村で沖縄そばと言えば、58号線沿いの「なかむらそば」。我々が住んでいた6,7年前からそれなりに人が入っていましたが、久しぶりに行ったら行列ができるほどの人気店になっていました。

こちらのアーサそばは、伊江島産のアーサが大量に乗せられているのみならず、麺にもアーサが練りこまれた緑色のオリジナル麺です。

また、かまぼこにもアーサが練りこまれ、緑色の破片が見えます。

ソーキそばとともに青い海を眺めながら美味しくいただきました。
  

Posted by MiO at 06:41Comments(0)

2014年07月28日

恩納村を満喫

今回は恩納村のコンドミニアム(普通のアパートの1室を旅行者用に貸しているモノ)に3泊し、恩納村のビーチで遊んだり、恩納まつりのエイサーを見たりと、恩納村を満喫しました。

恩納村と言えば、リゾートホテルとビーチと万座毛が有名です。


確かに、ビーチも万座毛もきれいなのですが、万座毛近くの集落に一歩足を踏み入れると、かつて祭祀に使われた神あしゃぎと呼ばれる建物や、その脇の拝所が残されていました。
 

マンホールには海はもちろん、、恩納岳と松とゆうな(オオハマボウ)の花、つまり豊かな自然が描かれています。


また、西海岸のため、夕日もきれいでした。特に、泊まったアパートが高台にあるため、サトウキビ畑越しに海に沈む夕日を眺めることができました。
  


Posted by MiO at 06:53Comments(0)

2014年07月27日

夏の沖縄はエイサーの季節

今回、久しぶりに夏の沖縄を訪れた理由の一つは、2歳半の息子に本場のエイサーを見せることでした。

もともとの家のパーランクーでよく遊んでいるほか、何度か福井でも地元の祭りにエイサーが登場するとじーっと見ていたので、きっと本場のを見せたら好きになるのではないかと思っていました。

まず初日は、宿泊場所からもほど近い恩納村の夏祭り「おんなまつり」に行きました。海辺の海浜公園で、ティンクティンクのコンサート(→こういうちょっとメジャーな歌手のミニコンサートが間近に、無料で見られるのが沖縄の夏祭りのいいところ)のあと、いくつかの青年団のエイサーが始まります。


地元、恩納村の青年会は一番最後に登場するので見られませんでしたが、本場・コザの中の町青年会のエイサーは、迫力も躍動感もあって、踊りもピタッと揃っていて見ごたえがありました。息子も飽きることなくじーっと見ていました。

次の日は、沖縄市立宮里中学校の地域のお祭りである「あがりなーざとエイサーまつり」に行きました。これは基本地域のお祭りで、それこそ住宅街の中の中学校校庭で行われるので、飲酒・喫煙も禁止です。この見せ場は、市街・市内他地域から7,8団体のエイサーも招きますが、最後は宮里中学校のOB/OGらによる東青年会のエイサーがトリを飾ります。
 

その前の山里青年会の男らしい勇壮な演舞と合わせて見ごたえがありました。中学校校庭ということで埃っぽく、すし詰め状態で落ち着きませんでしたが、こちらでも息子は眠い目をこすりながら、じーっと見ていました。
 

帰りの車の中や、その後の沖縄滞在はもちろん、家に帰ってきて1週間たっても、「はーいーやっ」「いーやーさーさー」と繰り返し一人で言っています。ここまでエイサーにハマるとは思いませんでした。行く末が楽しみです。  


Posted by MiO at 06:26Comments(1)沖縄旅日記

2014年07月26日

夏の島の味覚

久しぶりの夏の沖縄、この時期の旬と言えば、マンゴー、ドラゴンフルール、パッションフルーツなどの南国の果実です。特にマンゴーは濃厚な甘さが人気で、贈答品として立派なものは1個1000円以上で売られていたりします。

しかし、直売所に行くと、間引きされた小さいマンゴーが7~8個で700円くらいで売られていたりします。こういうものは本土まで出荷されない、つまり産地だからこそ買えるお得な掘り出し物ということで、思わずたくさん買い込みました。その結果、朝からミニマンゴーを一人2個という贅沢。。。


昼食は、海遊びをする合間にそば屋や食堂に食べに行きました。読谷村の島野菜食堂「てぃーあんだ」では、海の近くの古民家で、地元野菜や魚をたっぷり使った定食をいただくことができます。この日のメニューは、島野菜の天ぷら、カツオとサワラの竜田揚げでした。
 

猫もくつろぐゆったりとした雰囲気の中で食事ができるので大人気。2歳半の息子も、玄米入りごはん含め、たくさん食べました。
  


Posted by MiO at 07:01Comments(0)沖縄旅日記

2014年07月25日

夏の沖縄の海

久しぶりに夏の沖縄に来たので海を満喫しました。

リゾートホテルのビーチから


整備された恩納海浜公園のビーチ、


国道わきの名もない西海岸のビーチまで。


東海岸でも、伊計島、宮城島、平安座島を望む漢那ビーチ。


夕方のサンセットもまた格別でした。



     


Posted by MiO at 04:31Comments(0)沖縄旅日記

2014年07月25日

久しぶりの味と新しいデザイン

久しぶりに夏の沖縄に行ったので、今回は友人に会うことも断念し、エイサーと海を堪能することにして、到着後恩納村に直行しました。

まず夕飯は、来沖時に必ず立ち寄っている浦添のてだこそば。今回は定番の田芋そばとよもぎそばに加え、新たにマーボー豆腐そばにチャレンジしました。2歳半の息子も大の沖縄そば好き(そばジョーグー)なのですが、麺にヨモギが練りこまれたふーちばーそばよりも、普通のそばが好きみたいです。マーボー豆腐そばもうまいのですが、結構辛くて汗が出ました。


汗を流すべく宿についたらオリオンビール、と思いきや、コンビニで「祝・慶良間諸島国立公園指定」と書かれたオリオン・サザンスターの缶を発見。慶良間で春先にみられるザトウクジラと慶良間諸島が描かれています。第三のビールは基本飲まないのですが、思わず買ってしまいました。


新しいデザインと言えば、こんなのもありました。冬の定番「いちばん桜」に倣って、「夏いちばん」というのを始めたんですね。夏らしいデザインだし、「桜いちばん」と同じく麦100%だし、気に入りました。

  


Posted by MiO at 04:27Comments(0)沖縄旅日記

2014年07月24日

久しぶりに沖縄へ

久しぶりに夏の沖縄へ行きました。

午後の便でしたが、南西諸島上空では島影が良く見えました。

鹿児島の硫黄島。火山の様子がよくわかります。


伊平屋島と野甫島、具志川島、伊是名島


伊是名島と屋那覇島


青い海の中に浮かぶ島を見るのは旅情を感じますね。


  


Posted by MiO at 02:35Comments(0)沖縄旅日記

2014年06月23日

慰霊の日

今日6/23は69回目の沖縄の慰霊の日。

7年前に沖縄に住んでからは、沖縄を離れても毎年、(サンフランシスコ講和条約で日本から切り離された)4/28の屈辱の日や6/23の慰霊の日のことを頭に思い浮かべていました。

しかし、今年は、今朝ラジオでそのことを言われて不覚にもハッと気づきました。家族の体調が悪かったり、仕事が忙しかったり、地方では東京ほどいろんな情報が入らなかったり、と言い訳を挙げれば挙げられますが、我ながらそれまで気づかなかったことがショックでした。

仕事から帰ってきて、慌てて沖縄の新聞の紙面をインターネットでチェックして、少しでも現地の様子に思いを馳せようとしました。

【速報】平和への誓い新た 戦後69年 沖縄全戦没者追悼式-琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-227419-storytopic-1.html

沖縄「ひめゆり学徒隊」など慰霊 各地で追悼行事-沖縄タイムス
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=74038

新聞を読むと、6年前のこの日に沖縄で体感した光景―摩文仁周辺のそこかしこからたなびく線香の煙、花を手向ける道端の人々など―がうっすらと思い出される気がします。

仲井真知事は、結局、平和宣言に普天間県外移設を盛り込まないのではと報道されていましたが、最終的には、「県外への移設をはじめとするあらゆる方策を講じて、・・・普天間飛行場の5年以内の運用停止」を求めるという玉虫の色の表現になったんですね。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-227420-storytopic-1.html

6月23日。この日を積極的に思い出し、平和への思いや、沖縄の現状に対して改めて目を向ける日にしたいと思いました。  


Posted by MiO at 22:55Comments(0)沖縄とヤマト

2014年04月11日

三線教室

沖縄に住んでいた時以来、6年ぶりに、三線教室に通うことにしました。

仕事以外でも活動の分野を広げたいと思い、前々から探していたのですが、家のすぐ近くで三線教室があることがわかり、新年度という区切りもあって、思いきって入会してみました。

ほかにも四、五人の方がおりますが、少人数で気軽にできる印象です。声の出し方から教えていただけるので、どうしても一人で練習していると指の運びばかりが気になってしまう私にとってはいいかもしれません。

久しぶりにお腹から声を出して、お腹が微かに痛むくらい腹筋を使いました。さあ、どこまで続くのやら…。  


2014年02月15日

三線教室inふくい

福井市で三線教室を体験してみました。

インターネットで検索してみたら、何と家から徒歩5分のところに三線教室をやっているカルチャーセンターがあることが分かり、行ってみました。

初心者クラスと経験者クラスがあるので、簡単な九九四通りに指が動かせる程度ですが、経験者クラスに行ってみました。受講している方は、何年か続けているらしい結構上手で声もよく出る女性の方が一人。初心者クラスも、以前はもっといたみたいですが、今はお二人のようです。

福井はどこに行ってもすいているということをここでも実感。。。もっとも、同じ時間帯に行われている空手のクラスには、子供たち15人ほどがいたので、子供の学力・体力とも全国トップクラスの福井県だけあって、子供の習い事には熱心なようです。

さて、久しぶりに三線の教室に行ってみた感想ですが、なかなか思う通りには弾けませんでしたが、先生に倣って声を出したり、知っている曲でも多少違う楽譜に沿って曲を演奏するのは新鮮でなかなか楽しかったです。

費用とスケジュールの面をもう少し考えて、継続するかどうか決めたいと思いました。  


Posted by MiO at 10:06Comments(0)沖縄とヤマト

2014年01月11日

福井の沖縄料理屋

今日は一日雪、息子の子もりでずーっと家にいたあと、気になっていた福井駅近くの沖縄料理屋に行きました。


店内は、カウンターと座敷、テーブル合わせて25席くらいとこじんまりとしていますが、沖縄のポスターやシーサーの焼き物が随所においてあり、明るくて温かい雰囲気です。

料理も、あちこーこーのモズクの天ぷらや、こちらではなかなか食べられない田芋(たーんむ)の揚げたもの、ミミガ―チャンプルーなど、どれも美味しかったです。


まあ、地方都市なので、オリオンの生が飲めないのは仕方ないですね。。。
次は不定期であるらしいライブも聴いてみたいです。

  


2013年12月30日

プロジェクションマッピングin 中城城

沖縄でプロジェクションマッピングを見ることができました。

しかも世界遺産の一つ、中城城跡で、地元歌手の歌も楽しみながら、という豪華版。(沖縄ではよくあるジモティーなイベントですが)

夕暮れ時の中城城跡は、トワイライトな東海岸を見渡せていい感じです。


中城城の城壁には、琉球王国史上ポピュラーな護佐丸・阿麻和利の乱をイメージした映像が映し出され、その前の特設ステージでは、ポップスを歌ったり、地元の人が出演する歌劇をやったり・・・となかなか楽しめるイベントでした。





これを無料でやってしまうので沖縄らしいところ。  


Posted by MiO at 23:18Comments(0)

2013年12月29日

辺野古への承認手続き②?

福井新聞の社説も、地方紙にしてはなかなか良い。↓


辺野古埋め立て承認 これこそ県内基地、固定化

(2013年12月28日午前6時52分)

 安倍晋三首相と沖縄県の仲井真弘多知事が会談で交わした「沖縄の方々の気持ちに寄り添う」「140万県民を代表してお礼を申し上げる」という言葉がむなしく響く。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題で、仲井真知事が政府の辺野古沿岸部埋め立て申請を承認した。これに反対する市民ら2千人が「人間の鎖」で県庁を取り囲んだ。当然の怒りである。

 日米両政府による返還合意から17年。住宅が密集し「世界一危険」とされる普天間飛行場が移設に向け動きだす。だが知事が公約し、繰り返し主張してきた「県外移設」ではない。「苦渋の選択」「県外は堅持する」と言われても、論理が矛盾し、言い訳にしか聞こえない。

 「基地の固定化回避」という決断は「県内の基地固定化」にほかならず、東アジア情勢などを背景に、辺野古は日米軍事同盟の拠点として要塞(ようさい)化する可能性さえある。決して「オール沖縄」の意思ではないはずだ。

 宜野湾市にある普天間飛行場をめぐり1996年4月、日米両政府が返還で合意。日本政府は99年12月、辺野古への県内移設を閣議決定した。契機となったのは返還合意の半年前に起きた少女暴行事件である。その後も米兵事件が相次ぎ、2004年には隣接の沖縄国際大に米軍ヘリが墜落。事件のたびに捜査は不平等な日米地位協定の厚い壁に阻まれてきた。

 普天間問題は日米同盟に刺さった「トゲ」である。渦巻く世論と国家の圧力。その渦中に地方政治は巻き込まれるのだ。

 安倍政権は3月の辺野古埋め立て申請後、官邸の強権で圧力をかけた。先月には、知事の「県外」を支えてきた自民党県連や選出国会議員を恫喝(どうかつ)まがいで転向させ、知事が容認せざるを得ない状況に追い込んだ。

 官邸で開かれた先の沖縄政策協議会で、知事が要請した4項目の中には「県外」の文字も、オスプレイ配備中止の言葉もない。日米地位協定の改定や普天間の「5年以内の運用停止」という要求は米軍との協議次第。高いハードルだ。首相の「最大限の努力」は「空手形」となり、なし崩しもあり得る。

 沖縄の怒りは、本土の国民はよく理解できないだろう。第二次世界大戦末期、日米決戦の場となり、犠牲者20万人超の半数が地元民とされる。72年の本土復帰後も、強制収用された住民の土地は米軍が占領。基地面積は本島の18%強を占め、全国にある米軍専用施設面積の74%が集中する。県民は、本土防衛、国益の「捨て石」と言う。

 軍事専門家の森本敏前防衛相は昨年12月、大臣最後会見で米海兵隊の駐留に関し「軍事的には沖縄でなくてもよいが、政治的に考えると沖縄が最適の地域」と結論づけた。政府の「地政学的優位性」と異なる見解だ。

 来年1月には名護市長選がある。辺野古反対を明言する現職が再選されれば移設も不透明感を増す。秋には知事選を予定。仲井真県政への風当たりは一層強まるだろう。だが知事も日本政府の「捨て石」なのかもしれない。政府の「負担軽減」とは県民にとって基地完全撤去への道程となるべきものだ。いまや基地収入は全体の5%程度。毎年度3千億円の振興予算より、基地なき自力振興こそ、脱「捨て石」への真の道ではないか。
  

Posted by MiO at 00:59Comments(0)沖縄とヤマト

2013年12月29日

辺野古への承認手続き?

琉球新報の社説が良い。

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知事埋め立て承認 即刻辞職し信を問え 民意に背く歴史的汚点2013年12月28日

 仲井真弘多知事が、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた政府の埋め立て申請を承認した。「県外移設」公約の事実上の撤回だ。大多数の県民の意思に反する歴史的汚点というべき政治決断であり、断じて容認できない。
 知事は、2010年知事選で掲げた「県外移設」公約の撤回ではないかとの記者団の質問に対し「公約を変えたつもりはない」と述べた。しかし、どう考えても知事の説明は詭弁(きべん)だ。政府も当然、知事判断を辺野古移設へのゴーサインと受け止めるだろう。知事は責任を自覚して即刻辞職し、選挙で県民に信を問い直すべきだ。

見苦しい猿芝居

 知事の声明は法律の適合性についての根拠が曖昧なほか、安倍政権の基地負担軽減策を恣意(しい)的に評価しており、詐欺的だと断じざるを得ない。
 安倍政権の沖縄に対する思いを「かつてのどの内閣にも増して強い」と評価した。政権与党が自民党の県関係国会議員や県連に圧力をかけ「県外移設」公約を強引に撤回させたことなどまるで忘却したかのようだ。知事の政権評価は、県民の共感は到底得られまい。
 首相が示した基地負担軽減策で、普天間飛行場の5年以内の運用停止は「認識を共有」との口約束であり、日米地位協定は抜本改定ではなく新たな特別協定締結に向けた「交渉開始」と述べただけだ。
 米海兵隊輸送機MV22オスプレイについても、訓練の移転にすぎず沖縄への24機の常駐配備に何ら変化はない。要するに負担軽減の核心部分は、実質「ゼロ回答」なのだ。辺野古移設反対の県民意思を顧みない知事判断は、県民の尊厳を著しく傷つけるものだ。
 日米両国が喧伝(けんでん)する自由・民主主義・基本的人権の尊重という普遍的価値の沖縄への適用を、知事自ら取り下げるかのような判断は、屈辱的だ。日米の二重基準の欺まん性を指摘し「沖縄にも民主主主義を適用せよ」と言うのが筋だ。
 知事の埋め立て承認判断は、基地問題と振興策を取引したこと一つを取っても、国内外にメディアを通じて「沖縄は心をカネで売り渡す」との誤ったメッセージを発信したに等しく、極めて罪深い。
 辺野古移設で取引するのは筋違いだ。振興策も基地負担軽減も本来、国の当然の責務だ。その過大評価は県民からすれば見苦しい“猿芝居”を見せられるようなものだ。

再び「捨て石」に

 知事は25日の安倍首相との会談の際、「基地問題は日本全体の安全保障に役立ち、寄与しているという気持ちを持っている。われわれは今(政権の)応援団。ありがとうございます」とも述べた。
 強烈な違和感を禁じ得ない。沖縄戦でおびただしい数の犠牲者を出した沖縄の知事が悲惨な歴史を忘却し、軍事偏重の安全保障政策に無批判なまま、沖縄の軍事要塞(ようさい)化を是認したに等しい妄言である。今を生きる県民だけでなく、無念の死を遂げた戦没者、沖縄の次世代をも冒涜(ぼうとく)する歴史的犯罪と言えよう。
 知事の言う「応援団」の意味が、軍事を突出させる安倍政権の「積極的平和主義」へ同調し「軍事の要石」の役割を担う意思表明であるならば看過できない。沖縄戦で本土防衛の「捨て石」にされた県民が、再び「捨て石」になる道を知事が容認することは許されない。
 知事の使命は、県民の生命、財産、生活環境を全力で守り抜くことであるはずだ。知事は県民を足蹴(あしげ)にし、県民分断を狙う日米の植民地的政策のお先棒を担いではならない。
 県民大会実行委員会や県議会、県下41市町村の首長、議長ら県民代表が「建白書」として首相に突きつけたオール沖縄の意思は、普天間飛行場の閉鎖・撤去と県外移設推進、オスプレイ配備の中止だ。県民を裏切った知事の辞職は免れない。  

Posted by MiO at 00:56Comments(0)沖縄とヤマト

2013年09月08日

福井の沖縄FESTA

福井の沖縄フェスタに行ってみました。
福井県沖縄県人会の皆さんが、鯖江市の商店街のお祭にも協力をいただいて開催しているようです。

鯖江市中心部の商店街の一角を通行止めにして、ステージを作ったり、テーブルといすを並べたり、沖縄料理や地元の農産物・スイーツを売る店などが並んでいます。といっても、出店も5,6軒で、すぐに見渡せてしまうくらいですが、それでも20人ほどの人が集まっています。

沖縄民謡ライブを目指していきましたが、ステージのまん前に余裕で座れました。うちなーじらーの沖縄にルーツがあると思われる方もちらほら・・・。しかし、沖縄そば一杯300円は安い。。。二人で一杯ずついただきました。ゴーヤーチャンプルーもおいしかったです。

さて、ライブ開始。3,4人のプチエイサー隊もいて、久しぶりに大太鼓の音を間近で聞き、エイサーシンカとしては心が躍ります。

1歳9カ月の息子も、家で三線が気になっていじったり、パーランク―を太鼓代わりに叩いているので、手をたたきながらじっと見入っていました。

さすがに、最後のかちゃーしーは独りで踊れませんでしたが・・・パパが抱っこしたまま踊りました。次回は是非息子も一緒に踊りたいものです。
  


Posted by MiO at 22:18Comments(0)沖縄とヤマト

2013年06月23日

慰霊の日 本土の新聞にて

本日は沖縄の慰霊の日。本土の新聞は、どこもあまり大きく報道しませんが、本日の中日新聞社説がよいことを書いていました。
(全文はhttp://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2013062302000096.html

以下、2013年6月23日、中日新聞社説より

(前略)

本土復帰から四十年余りがたつ今も在日米軍基地の74%が沖縄に残り、県民は騒音や事故、米兵による事件など重い基地負担に苦しんでいます。基本的人権の尊重をうたう日本国憲法よりも米兵らの法的特権を認めた日米地位協定が優先され、県民の人権が軽んじられるのが現状です。

 こうした状況の抜本的改善なくして、沖縄に本当の意味での「戦後」「復帰」は来ないのです。

 きょう、摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が開かれ、安倍晋三首相が出席します。今年は外相、防衛相も初の参列です。

 沖縄に寄り添う姿勢を示し、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への「県内移設」に県民の理解を得たいのでしょう。でも、県内で基地をたらい回ししても、基地負担は減りません。

 米軍基地の重い負担を沖縄に押し付け、平和という果実を本土が享受する構図は、本土防衛の時間稼ぎのために沖縄を「捨て石」にした先の大戦と同じです。

 
(中略)

 すべての国民が、沖縄の痛みを自分のこととしてとらえ、その改善に少しでも前進しなければなりません。

(後略)  


Posted by MiO at 23:05Comments(0)沖縄とヤマト

2013年06月20日

6.23

沖縄に一年暮らして忘れられない日となったのは、4/28と6/23。

1952年4/28は、サンフランシスコ講和条約で日本が主権を回復した日、というのは本土だけの話で、日本から切り離されてアメリカの支配下となった沖縄では、今でも「屈辱の日」と言われています。沖縄で暮らすまで知りませんでしたが、今年は安倍総理が主権回復の日を祝おうとしたおかげで?、沖縄と本土での意識の違いが大きく報道され、このような事実について広く知られることとなりました。

1945年6/23は、住民の1/4がなくなったとされる沖縄での組織的戦闘が終結した日。毎年、6/23は沖縄で「慰霊の日」という県民の休日であり、学校も休み。最後の激戦地で、各県出身の兵士の慰霊塔がある南部糸満市への道路は、線香を手向ける人が向かう車で混雑し、道路脇の慰霊碑には終日煙がたなびきます。

今日の夜のNHKニュースでは、慰霊の日が近いということで、ひめゆり学徒隊の生き残った人々が、沖縄の小学校などで沖縄戦を語り継いでいる様子が放映されました。映像の中で語られていたように、生き残った人々の生々しい言葉に触れると、二度と戦争に陥ることがあってはならないと思いますし、憲法9条改変を見据えた最近の国会での憲法論議には眉をひそめたくなります。

本土では、6/23といってもあまり意識されないと思いますが、沖縄では戦争の悲惨さを思って故人を偲び、不戦を誓う日であることを一人でも多くの本土の人に知ってもらいたいと思います。沖縄戦も、本土決戦まで時間を稼ぐための「捨て石」とされたがゆえに泥沼化したという意味で、他人事ではないわけですから。  

Posted by MiO at 23:32Comments(0)
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環境と観光、スローライフとエコツーリズムで人と地域を元気にする、「スローツーリズム・コーディネーター」。人、自然、地域との「つながり」を求めて、世界35カ国と日本全国、沖縄の殆どの有人島を旅する「風の人」。コーヒーとオリオンビールと村上春樹が好き、ヘビとおしゃべりな床屋がキライです。
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