2013年12月29日

辺野古への承認手続き②?

福井新聞の社説も、地方紙にしてはなかなか良い。↓


辺野古埋め立て承認 これこそ県内基地、固定化

(2013年12月28日午前6時52分)

 安倍晋三首相と沖縄県の仲井真弘多知事が会談で交わした「沖縄の方々の気持ちに寄り添う」「140万県民を代表してお礼を申し上げる」という言葉がむなしく響く。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題で、仲井真知事が政府の辺野古沿岸部埋め立て申請を承認した。これに反対する市民ら2千人が「人間の鎖」で県庁を取り囲んだ。当然の怒りである。

 日米両政府による返還合意から17年。住宅が密集し「世界一危険」とされる普天間飛行場が移設に向け動きだす。だが知事が公約し、繰り返し主張してきた「県外移設」ではない。「苦渋の選択」「県外は堅持する」と言われても、論理が矛盾し、言い訳にしか聞こえない。

 「基地の固定化回避」という決断は「県内の基地固定化」にほかならず、東アジア情勢などを背景に、辺野古は日米軍事同盟の拠点として要塞(ようさい)化する可能性さえある。決して「オール沖縄」の意思ではないはずだ。

 宜野湾市にある普天間飛行場をめぐり1996年4月、日米両政府が返還で合意。日本政府は99年12月、辺野古への県内移設を閣議決定した。契機となったのは返還合意の半年前に起きた少女暴行事件である。その後も米兵事件が相次ぎ、2004年には隣接の沖縄国際大に米軍ヘリが墜落。事件のたびに捜査は不平等な日米地位協定の厚い壁に阻まれてきた。

 普天間問題は日米同盟に刺さった「トゲ」である。渦巻く世論と国家の圧力。その渦中に地方政治は巻き込まれるのだ。

 安倍政権は3月の辺野古埋め立て申請後、官邸の強権で圧力をかけた。先月には、知事の「県外」を支えてきた自民党県連や選出国会議員を恫喝(どうかつ)まがいで転向させ、知事が容認せざるを得ない状況に追い込んだ。

 官邸で開かれた先の沖縄政策協議会で、知事が要請した4項目の中には「県外」の文字も、オスプレイ配備中止の言葉もない。日米地位協定の改定や普天間の「5年以内の運用停止」という要求は米軍との協議次第。高いハードルだ。首相の「最大限の努力」は「空手形」となり、なし崩しもあり得る。

 沖縄の怒りは、本土の国民はよく理解できないだろう。第二次世界大戦末期、日米決戦の場となり、犠牲者20万人超の半数が地元民とされる。72年の本土復帰後も、強制収用された住民の土地は米軍が占領。基地面積は本島の18%強を占め、全国にある米軍専用施設面積の74%が集中する。県民は、本土防衛、国益の「捨て石」と言う。

 軍事専門家の森本敏前防衛相は昨年12月、大臣最後会見で米海兵隊の駐留に関し「軍事的には沖縄でなくてもよいが、政治的に考えると沖縄が最適の地域」と結論づけた。政府の「地政学的優位性」と異なる見解だ。

 来年1月には名護市長選がある。辺野古反対を明言する現職が再選されれば移設も不透明感を増す。秋には知事選を予定。仲井真県政への風当たりは一層強まるだろう。だが知事も日本政府の「捨て石」なのかもしれない。政府の「負担軽減」とは県民にとって基地完全撤去への道程となるべきものだ。いまや基地収入は全体の5%程度。毎年度3千億円の振興予算より、基地なき自力振興こそ、脱「捨て石」への真の道ではないか。


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環境と観光、スローライフとエコツーリズムで人と地域を元気にする、「スローツーリズム・コーディネーター」。人、自然、地域との「つながり」を求めて、世界35カ国と日本全国、沖縄の殆どの有人島を旅する「風の人」。コーヒーとオリオンビールと村上春樹が好き、ヘビとおしゃべりな床屋がキライです。
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