2008年04月18日

大田昌秀元沖縄県知事の憲法講演会

知事時代に反基地の姿勢を明確にして政府と闘った、元沖縄県知事の大田さんの講演会に行った。

憲法学者でもある大田さんは、ご高齢にもかかわらずハキハキと理論的にお話になる。

・政治は庶民に分からぬ筋書きで進行する。だからこそ、あの手この手を尽くして何が起きているかを知るべき。
・例えば、普天間基地の代替として辺野古に基地が作られようとしているが、あれは1966年当時にドルが急落して実現できなくなった移転計画が、普天間基地の危険性除去を口実に蒸し返されたもの
・しかも、日米政府の公式発表とは裏腹に、新基地の利用予定が200年ほどに渡ること、事故が頻発するオスプレイ配備等が、アメリカ会計検査院の書類には明記されている
・現在の防衛大臣や外務大臣に、「沖縄戦についての本を読んだことがあるか」「沖縄戦から学ぶことはあるか」と聞いても、まともに答えられない。こんな政治に期待していてはダメだと思った。

などの興味深い話のほか、特に強調していたのは、以下のこと。

・沖縄は日本が戦争に負けたから切り離されて米軍統治されたのではなく、日本が差別的統治をしていたからだ、ということ。即ち、太平洋戦争中、ヤマト民族と琉球民族の居住区域でもある北緯30度線を境に、「本土」防衛軍と、南西諸島防衛軍を分けていた事を見ても分かるように、ヤマトの中に琉球を見下す視点があったからだ。

・侍文化の日本とも異なり、武器を持たぬ守礼の邦と言われた琉球には、米軍基地は本来そぐうものではない。今の若者には、生まれたときから近くにあるので、自然のように思うものも居るようだが、決してそうではない。

・1945年の終戦後もずっと摩文仁の丘を彷徨い、武装解除されて収容所に入ったのは10月だった。戦時中に友軍の残虐な振る舞いを見て、 軍隊の非合理さを嘆き、戦争に身も心もボロボロになった身には、収容所で手に入れた日本国憲法は、身が震えるほどに感動するものだった。

・現在改憲の動きも見られる中、来るべき未来を指し示すような見事な憲法は、書かれているから所与とするのではなく、日々の暮らしの中で私たちの手で意味あるものにし、大切にしてゆかなければならない。周りから憎まれても、最後のひとりとなっても、戦争反対を叫び続けるべきである。

・武器があるから命を守れるのではない。牙を持つ狼は人間に駆逐されたが、鳩は自由に空を飛びまわっている。憎まれても、相手が攻撃するのを怯むくらいの愛で応じることこそが、平和を導く。
大田昌秀元沖縄県知事の憲法講演会


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環境と観光、スローライフとエコツーリズムで人と地域を元気にする、「スローツーリズム・コーディネーター」。人、自然、地域との「つながり」を求めて、世界35カ国と日本全国、沖縄の殆どの有人島を旅する「風の人」。コーヒーとオリオンビールと村上春樹が好き、ヘビとおしゃべりな床屋がキライです。
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