2008年12月14日
大丈夫であるように
Coccoのライブツアーを追いかけたドキュメンタリー映画、「大丈夫であるように」http://www.dai-job.jp/が東京で封切りされたので、観に行った。感受性豊かで素直な彼女が、歌にのせて思いをつづる、そのシーンを彼女の歌とともにをちりばめている。
「沖縄が大好き。自分にできることは歌を歌うことなので、歌うことで少しでも恩返ししていきたい。」と語るCocco。彼女が青森のコンサート会場で思いを述べるシーンがある。
「沖縄という小さい島は、日本の米軍基地の75%を受け入れていて、父母の世代は仕方ないと思って受け入れてきた。その痛みを少しでも何とかしたいので、沖縄の人は、サンシン弾いたり、歌ったり踊ったりしてきた。自分は何とかしたいと思ったから、『日本の人、何とかして』と思っていた。でも、六ヶ所村の少女から手紙をもらい、同じように核の廃棄物を受け入れざるを得ない地域があり、核の恐怖と共存を迫られている人々がいることを知った。今まで知らなかった自分が恥ずかしいと思った。だから、その地に行き、そこの空気を吸って、その水を飲まないといけないと思った。この問題を知らせてくれて、ありがとう。」
この言葉は、まさに沖縄や六ヶ所、水俣やアイヌの人々に対する僕の気持ちと重なる。このシーンは、涙を禁じえなかった。
そして彼女は、沖縄戦のとき、若くして死の恐怖に直面し、命を散らした仲間に対して、「自分だけ生き残って申し訳ない」と思っていたひめゆり学徒隊のおばあに対して、もう悲しい唄はいらない、と歌いかける。そして、現代を生きる我々に、「生きられなかった人の分まで、一生懸命生きろ」と歌いかける。
「沖縄が大好き。自分にできることは歌を歌うことなので、歌うことで少しでも恩返ししていきたい。」と語るCocco。彼女が青森のコンサート会場で思いを述べるシーンがある。
「沖縄という小さい島は、日本の米軍基地の75%を受け入れていて、父母の世代は仕方ないと思って受け入れてきた。その痛みを少しでも何とかしたいので、沖縄の人は、サンシン弾いたり、歌ったり踊ったりしてきた。自分は何とかしたいと思ったから、『日本の人、何とかして』と思っていた。でも、六ヶ所村の少女から手紙をもらい、同じように核の廃棄物を受け入れざるを得ない地域があり、核の恐怖と共存を迫られている人々がいることを知った。今まで知らなかった自分が恥ずかしいと思った。だから、その地に行き、そこの空気を吸って、その水を飲まないといけないと思った。この問題を知らせてくれて、ありがとう。」
この言葉は、まさに沖縄や六ヶ所、水俣やアイヌの人々に対する僕の気持ちと重なる。このシーンは、涙を禁じえなかった。
そして彼女は、沖縄戦のとき、若くして死の恐怖に直面し、命を散らした仲間に対して、「自分だけ生き残って申し訳ない」と思っていたひめゆり学徒隊のおばあに対して、もう悲しい唄はいらない、と歌いかける。そして、現代を生きる我々に、「生きられなかった人の分まで、一生懸命生きろ」と歌いかける。
Posted by MiO at 23:53│Comments(0)
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